「岐路に立つ中国の漁村」撮影後記

 

私は中国沿海部の小さな村で15歳まで過ごしました。子供のときによく海で泳いでいたことは今でも鮮明に覚えています。今でも帰郷するたびに私はいつも海を見にいきます。故郷を離れて遠い日本で友達もあまりいない孤独な私にとって、海は心を癒してくれる友達でした。

しかし、いつからだろうか、はっきり説明できませんが、あるときから、海はどんどん遠い存在だと感じるようになりました。近海の深刻な汚染問題で子供たちが海を離れるようになり、海で泳ぐ風景は二度と見ることができません。近場で魚を採れないから、漁師たちがどんどん遠くへ行き、木製船を操縦して沿岸で魚を取っている様子はもう夢の中で見ることしかできません。

海

海はこんなに遠い!と私は感じました。目の前に広がる海は時代の波と共に変化してしまいました。これで私は故郷の海に起きた変化を見つめるドキュメンタリーを作りたかったです。

今回私は漁師の仕事をそばで見るチャンスを得ました。

中国は人口が多い。漁獲量は世界一ですが、中国人が漁場とする海の資源は世界一ではありません。少しでも多く獲ろうとする漁師と限られている資源の間では、調和することが難しくなっています。漁をやめればいいだろうと簡単にいう方もいると思いますが、先祖代々から漁師としてやってきた人にとって、岸での仕事は簡単ではありません。「魚が減っていることは分かっていますが、生きるために仕方がありません」という漁師の言葉。私はその葛藤を描きたかったです。

漁師

決して乱獲は中国人漁師だけではなりません。番組の中で取り上げた東シナ海でも、かつて60年~70年代は日本と韓国がそこで乱獲しました。1980年代から改革開放で漁船の私有化が認められた中国漁師たちが日本の中古船を買って、東シナ海に進出したといわれています。

時代の流れで漁師は遠い海へ出て行きます。しかし、魚がとれなくなり、今は転職をせざるを得ない状況に追い詰められています。政府は漁師の転職を支援するため、漁村を観光地にして収入を得ようとするプロジェクトも行われています。番組の主人公である若い漁師は、またその改革の波にのって、人生をかけようとしています。大好きな海を離れて、旅館で客を待ち続ける。そんな皮肉な風景を見た私は笑えませんでした。

多くの時は、人間が波に乗るしかありません。しかし、時には、人間は波と戦います。人間は無力でありながら、どんな時でも必死に生きていくしかありません。

私が作りたいのは責任を追及する番組ではありません。生き方をもう一度考えてみようという自ら人間に問いかける映像です。

文:何祖杰(ディレクター)

 

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