「大地は誰のものか」撮影後記

こんにちは。
ロシアロケを担当したディレクターの何祖杰です。
放送をご覧頂いた皆様ありがとうございます。
見逃された方、明日再放送がございますので
是非ご覧ください。

《撮影後記》

5月上旬、私はロシアを耕す中国人を密着するため、ロシアに入りました。
私は中国の福建省出身で、10年前に来日しました。
その後、中国と日本の間で行ったりきたりしながら取材を続けて来ましたが、中国と日本以外の第三国での取材は今回が初めてでした。

ロシアで農地を耕している中国人の多くは、中国の東北地方出身の農民です。
私は黒龍江省で農民をロシアへ送り込む会社と出会いました。この会社の農民と一緒にロシアへ入ることになりました。

黒龍江省といえば、中国人である私はすぐに思い出すことは、
「北大荒(北方にある広い荒地)」です。
私と同じ年の中国人には馴染みがないかもしれませんが、
私の父の世代なら、誰でも知っている言葉です。
当時の黒龍江省はあまり人が少なくて、大量な土地は荒れ地のままでした。

新中国では、国内の食糧問題を解決するため、大量な復員軍人、知識青年、そして農民は全国から黒龍江省に集まってきて、
荒れ地を開墾して、「北大荒」を「北大倉(北方にある大きな食糧倉庫)」に変えたのです。

しかし、数十年間をへて、中国では農地が一番広い黒龍江省でも農地を増やしても増やせない状況になっていました。

わずか数百メートルのアムール川を越えて、私は農民たちと一緒にロシアに入りました。目の前に広がっていたのは、大量な荒地でした。
農民たちもだんだん興奮してきました。「ここは中国とまったく風景が違うでしょう」と農民はいう。確かそうです。
ロシアの大地をみる前に、どうしても農民たちの狙いを理解できなかった私は、この一瞬で全てを理解しました。
異国へいくのは、それなりの勇気が必要ですから、自国にいるよりもっと大きな夢を叶えられるから、農民たちはロシアを選んだのです。

国境を越えるバス

国境を越えるバス

車で40分。私たちはパブストボという小さいな町につきました。
町の中に会社(農場)の現地事務所があります。
ここで中国農民が教えてくれた注意事項は一生忘れられません。
「一人だけなら、絶対外出するな」、「ロシア人に金をくれと言われたら、金を渡しても自分の安全を守ることが優先だ」・・・
過去に何回もトラブルがあったようで、彼らはできるだけトラブルに巻き込まないように自粛しています。

中国農民にとって、異国の地では不安だらけです。

私にとって、一番頭が痛いのは宿泊の問題です。
近くのホテルで泊まりたいと考えていましたが、ホテルは中国人である私を拒否したのです。
その後、私はずっと農民と一緒に寝泊りするようになりました。

農民はロシアで手に入れた中古のトレーラーハウスで寝泊りしています。
大きさは約8畳しかありません。
その中で2人以上が寝泊りしていますから、私も入れて、狭い空間はもっと狭くなりました。

仲間0

張さんら中国農民たち

でも、そのおかげで、私は農民の生活の細かい所まで撮影することができました。
私はずっと印象に残っているのは、中国農民の笑顔です。
饅頭と漬物しか食べなくても、常に笑顔でいます。
一日約20時間働いても常に笑顔でいます。
頑張っている中国農民には、私は感動しました。
どんなに大変な状況であっても、逞しく生きていきます。

押し寄せてくる中国農民に、ロシア農民は警戒しています。
彼らは自分の農地、そして市場まで中国人に奪わられるのではないかという思惑がありますから、
中国農民と対抗するため、ロシア農民も今までよりさらに頑張るのではないでしょうか。

このような競争の中で、歴史が動いていくはずだ。極東ロシアの発展は期待できます。

張さん兄弟0

農民達がクラストレーラーハウス

2012年7月21日
ディレクター 何祖杰

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